2025.06.24

それは、終わりのはじまりだった

それは、終わりのはじまりだった

あの日、名古屋での最終戦を終えて大分に戻ってから、何とも言えない違和感が体にまとわりついていた。最初は40度近い発熱。「疲れが出たのかな」と思いながらも、その熱はなかなか下がらず、次第に身体のしびれや視界のかすみ、説明のつかない重だるさが加わっていった。

アスリートとして、これまで何年も自分の体と向き合ってきたからこそ、どこかで「これは、いつもの不調とは違う」「何かおかしい」と直感的に感じていた。

その不安を胸に、大分大学附属病院で診察を受けることに。しかし、診察だけでは原因がはっきりせず、医師と相談のうえ、そのまま入院して精密検査を受けることになった。血液検査、MRICT…いくつもの検査を重ねても、すぐには答えが出なかった。「原因不明」のまま病院のベッドに横たわる日々は、不安以外の何ものでもなかった。

入院初日から始まったのは、脊髄から髄液を採る検査。
背中に刺さる針が骨を押しのけるように進んでいく感覚。
医師から「少し痛いですよ」と言われたその“少し”が、どれほどのものかは、やってみて初めてわかる。採取した髄液は検査に十分な量ではなく再検査となる。
あの痛みをもう一度…心が折れそうになった。

当時を振り返ると、本当に苦しかったのは、病名がわからないまま過ごす時間だった気がする。何かにすがるようにインターネットで症状を検索しては、希望を見つけたり、絶望したりの繰り返し。不確かな未来を想像するたびに毎晩のように心が揺れ動いた。

3週間ほど経った頃、ようやく医師たちによりいくつかの病名が絞り込まれた。
「どうか、軽い診断であってくれ」
祈るような気持ちで過ごしていたある日、主治医、チームドクター、そして家族が集まるカンファレンスルームに呼ばれた。

主治医の口から告げられた言葉は――
「多発性硬化症です」

耳では確かに聞こえているのに、頭の中にその言葉が届かない。現実味がなくて、気づけば心の中は真っ白になっていた。

「やっと病名がわかった」
けれど、それは“安心”とは全く異なる感情。

むしろ、ここからこれまでの日常とはまったく違う人生が始まる。
これから何が起こるのか、どんな日々が待っているのか。

どこか自分のことなのに、自分自身を他人のように突き放してしまう。

それは、「終わり」のはじまりだった。

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