2025.08.31

闘病生活の始まり

闘病生活の始まり

「多発性硬化症」の診断が下る少し前のこと。
「じゃあ、まずはステロイド治療を始めましょう」と主治医に言われ、ステロイドの点滴治療が始まった。幅広い疾患に対して有効だとされている治療法。炎症を抑えるために、2週間ほどかけて毎日点滴を受けた。

だが、体調が戻ってくる実感は、正直ほとんどない。むしろ激しい副作用に悩まされる。

感情の起伏が激しくなり、理由もなくイライラしたり、急に落ち込んだり。眠れなくて、処方してもらった睡眠薬を飲んでも、夜中に何度も目が覚めてしまう。身体が動かせないストレスに加え、寝不足と不安と孤独が重なって、心がどんどん削られていく感覚だった。どこにも、誰にも、この気持ちをぶつけられないまま、ただ真っ暗な病室で天井を見つめる夜が続いた。

そんな中で、唯一、気持ちが落ち着く瞬間があった。それが、窓から見える里山風景だった。毎日、病院内のコンビニでコーヒーを買い、遠くに見える山の稜線をぼんやりと眺めた。
「きれいな山だなぁ、ダイヤモンドヘッドみたいだ」――そう考えながら、現実から少し逃げる。過去の楽しかった思い出を引き出し、気持ちをなんとか持ち堪えさせていた。旅行が好きだったからこそ、楽しいことを思い浮かべて、現実を忘れられるひとときを自分でつくろうとしていたのかもしれない。けれど、心の奥にあったのは「恐怖」でしかなかった。

副作用にも慣れてきて、朝は、病院の敷地内をゆっくり歩くのが日課になった。気持ちを上げるために。受け入れるために。前を向くために。太陽を浴びて、深呼吸をして、ただ歩くだけ。それだけのことなのに、不思議と少しだけ前向きな気持ちになれた。

コロナ禍の影響で、家族とも会えなかった。
面会は禁止。やりとりは、電話や差し入れだけ。
妻が届けてくれる着替えや、子どもたちの写真を見ては、なんとか気持ちをつなぎ止めていた。

「痺れやだるさが染み付いているような身体で、これからどう生きていけばいいのか?」

フットサルのことなんて、正直、考える余裕すらなかった。
それよりも、自分が父親として、夫として、この先も“生活者”としてちゃんと生きていけるのか、目の前の暮らしを守れるのか。そのことばかりを考えていた。

あの頃の自分は、闘病というより、拭えようのない孤独感の中、ただ“持ちこたえる”ことで精一杯だったと思う。

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